看取りへの第一歩について


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夕方、日が落ちるのが本当に早 くなった。私は寒いところの生まれであるが、この冬というシーズンが苦手である。
施設の中は空調がしっかり効いているから、利用者さんは長そでの薄手のセーター1枚で生活されている。

現在の勤務先の施設では施設内の看取りの体制についてはまだ工事中の状況である。特別養護老人ホームなので、入所時には当然家族にどういう最期を迎えたいかの意向については聴いている。病院ではないので、受けられる医療行為も実際限られている。医師については配置医として嘱託医師が週1回程度往診をしてくれているが、いざ急変という時は救急車による搬送をせざるをえない現状にある。勿論、同じ特別養護老人 ホームであっても、様々工夫をして看取りをきちんと実践できている施設もある。例えば、看護師の勤務形態を夜勤ありとしたり宿直ありとして、24時間365日医師の指示があれば医療行為ができる状態にしている施設もある。

医療機関は、そもそも救命治療を積極的行うのが基本的スタンスである。少子高齢化の現代では、救急搬送時に家族の意思確認をもって気管挿管はしないという選択肢がさすがに用意されているが、ERに運びこむという姿勢はすでに医療によって命を救うという方向性ができているわけである。

何度も誤嚥性肺炎を起こしながら、入退院を繰り返しする中で家族の中にはもう病院に入院させず、施設で看取ってほしいとう要望も出てくるのは不思議ではない。ただ、人間の命の線引きは厳密には誰もしてはならないと個人的には思っている。勿論本人が「もういい・・死なせてくれ・・」と発言したとしても「はいわかりました・・」というわけにはいかない。それでは自殺幇助になって刑罰に処されるかもしれない。

老衰死や平穏死という言葉がテレビ等でも取り上げられる話題となってきた。10年以上前に世田谷区立の芦花ホームという特別養護老人ホームの常勤医師である石飛先生が提唱されており、著書もでているので関心のある方はぜひぐぐって調べてぜひ読んでみてほしい。

どこで亡くなりたいか?という質問に、多くの人々は住み慣れた自宅でと密かに願っている人が多いだろう。昭和の初期はともかく今は病院での死が八割近いのが現状だ。施設での死は1割満たない。施設入所というところで、人生の終の棲家として本人の意思にそぐわない展開になってしまっているわけだが、日々の生活を送っている施設も終着点となり得ないのは本当に矛盾しているように感じることがある。

自分の人生の送り方について、早い時期に意思決定をして家族に伝えていくことが今のところは一番理想だろうか。
施設に勤務していると急変にあたった職員には、これで良かったのか・・という思いが残る可能性があるように感じられる。

また看取りは放置するわけでなはく、日々むしろ手厚く生活を介助して安らかに支援するプロセスである。職員、家族皆で思いのたけを尽くして関わる中で送っていきたいものだという気持ちをまず、看取りの第一歩として学んでもらうことをスタートさせたばかりである。

看取りの心構えは人生の早い時期に自分自身で決めていくようにしていきたいものである。
終活という言葉も耳にするようになった今、終の棲家に勤務する1職員として日々考えさせられている。