日本の介護スタッフが外国人に変わる日


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安部総理大臣が団塊の世代にむけての特別養護老人ホームの強化を公表したのはつい昨日の話である。
少しばかり気にされた方もおいでになるかもしれない。慢性的な人手不足のこの業界で、施設だけの数を揃えても現場で実際介護を担う人材はどうするのか。抜本的な政策がだされないと解決は難しいと感じる。
大体、今時夜勤17時間近い勤務を月に4回~5回こなして手取りが20万足らずの業界に若いエネルギーに満ち溢れる働き手がどんどん集まってくるなんてことは想像しがたい。

待っていても人手の確保のあてがみえてこないので施設もそれぞれ少しずつだが策を練りはじめている。近所の施設は入職御祝い金の贈呈をはじめたりしている。そして私の勤務している施設ではアジアからの留学生のアルバイトを引き受けることとした。
外国人に日本人の感性や文化を理解することは難しいにちがいないという意見が確かにある。
自分の経験としては施設でも病院でもアジア人の外国人ヘルパーさんと仕事を一緒にしたことがある。フィリピンから出稼ぎにきている人からはじまり、日本人の奥さんになって パートで働きにきている人までいろいろな人たちがいた。感性や文化の違いはあまり感じる機会はなかった。
一応日常会話ができるが彼女たちがなにより困っていたのは日本語の読み書きである。特に漢字の送り仮名と助詞の使い方が難しい。
現場の意思疎通に関してはいざとなれば阿吽の呼吸が意外に通じるものという感じがする。いわゆるボディーランゲージだ。
現場の動きには微妙な感性の違いを感じる暇さえないというのが本当のところかもしれない。

私の外国人との出会いは30年も昔の高校生の頃、AFSという高校生の留学制度があり、アメリカ人の高校生のホストファミリーをしたところに原点だ。公費の補助がでている留学制度のわりには、考えてみると高校生のつたない英語力の一般家庭に外国人のこれまた英語しかしゃべれない高校生がホームスティするプログラムで、かなり無謀な印象を今持つ。当時、我が家で一番シェリル(高校生)の意思を理解し、果敢に日本語でアタックしたのはわが母であった。これがまた不思議でゴットマザーのボディーランゲージがよく通じたのである。
当時片言英語の高校生の私は毎日高校でシェリルと机まで並べたのに・・・英語コミュニケーション能力は思い出すのも恥ずかしいレベルだった。英会話は全然上達しないままだったがひと夏が終わる頃には私たちは声をたてて笑いあう仲になっていった。

それから大学を出ても海外に行く機会なぞさっぱりなく、初パスポートを手にしたのはホストファミリーをしてから実に20年後のシンガポールへの出張だった。現地の社会福祉にかかわる施設や団体を訪問するプログラムだった。シンガポールは多民族国家として有名だが、実際にマレー人、中国系華僑、インド人・・・・と様々人種が生活している。高齢者施設、日本でいう特別養護老人ホームや養護老人ホームのような施設を訪問して、宗教別、民族別に施設が存在することにとても驚いたことを覚えている。そこで働く介護や看護のスタッフの多くが元の祖国からの出稼ぎで占められていることもびっくりだった。
例えばインド系の施設なら、職員食堂ではてづかみで器用にカレーを食べていたりするのに対し食事介助はスプーンを使って食べさせていたり、と祈りの時間は入居者もスタッフも共有していたりする風景が妙になじんでいた。
後にも先にも文化と宗教の大切さを感じたのはこのシンガポール研修の引率が一番インパクトが大きかった。

こう振り返ってみると外国人の仲間という存在は今また大きくなってきている。EPAについてはすでにご存じだと思うが、今後介護分野も追加になると聞いている。つまり我が国に外国人の介護スタッフを受け入れが現実的な課題になってきているのは間違いない。

次回は明日から出張するアジアの土産話をする予定である。